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2013/09/06

ICT産業の躍進が著しいフィリピンが今まで経済停滞していた原因

山田ビジネスコンサルティング(株)

筆者が初めて訪れた外国はフィリピンです。1988年のことでした。マニラ市内で観光バスを降りると、夥しい数のフィリピン人に取り囲まれカネをせびられる、小学生ぐらいの男の子が白昼堂々とタバコを吸っている、そんな貧困と荒廃の風景が目に飛び込んできました。
当時の日本では、頻繁に、フィリピン絡みの報道等があったと記憶しております。某大手銀行の資金を横領した同行女性行員のマニラへの逃亡事件(1981年)、フィリピンの危険スラム地帯を舞台にした映画「海燕ジョーの軌跡」の公開(1984年)*1、マルコス元大統領のアメリカ亡命(1986年)、某大手商社フィリピン支店長誘拐事件(事件発生1986年11月~釈放1987年3月)など。また、日本中あちこちにフィリピンパブがあり、当時の日本人のフィリピンに対するイメージは一般にネガティブであったといえるでしょう。
「経済面では、戦後直後、フィリピンはアジア全体で見ても最も先進的な国の一つであった*2」そうです。しかし、今では、フィリピンは、経済の面で、他の東南アジア諸国に後れを取っています。フィリピンは、豊富な労働力を有すること・英語が公用語であること・教育水準が低いわけではないこと(大学進学率28.7%)等、他国に比べても優位な要素を持っているにもかかわらずです。
そんなフィリピンですが、近年、脚光を浴びつつあります。特に、コールセンターやBPO(ビジネスプロセスアウトソーシング)等のいわゆるICT産業の躍進が著しく、この分野の先進国インドに次ぐ規模を誇るに至っています。
そんな中、日系企業のフィリピンに対する関心も高まりつつあり、参入も相次いでいます。ユニクロも今年の6月にマニラに初出店しています。また、フィリピンの不動産投資に対する関心も高まっています。
今回はこれまでのフィリピンの経済停滞の状況・原因、次回は今後の経済成長の道筋と中堅中小企業進出に際しての留意点を考えていきます。
*1 1984年に公開された映画。フィリピンに逃亡した沖縄のヤクザの青年を時任三郎が演じた。
*2 外務省 国別データブックより

1. 国土・人口

<フィリピン地図>

インターネットから転載

フィリピンの人口は約96百万人です。うち、首都マニラが所在するルソン島(以下の地図ご参照。面積約10.5万平方キロ)の人口は約44百万人です。 
フィリピンはとても若い国といえます。フィリピンの生産年齢人口*3は、2010年時点で57百万人、2030年における予測値は82百万人と長期間にわたる増加が予測されています(以下のグラフ)。

*3 産年齢人口:15歳以上64歳以下人口。生産・消費の中心的な担い手となる人口を意味する。

<フィリピン地図 拡大>

インターネットから転載

<フィリピン 生産年齢人口推移>

2010年国連資料より

2. 経済停滞の原因 ―タイとの比較―

(1)経済規模・豊かさ

まず、1980年の数字を見てみましょう。同年の名目GDPは、フィリピン約3.2百億ドル、タイ3.2百億ドルです。同年の国民一人当たりの名目GDPは、フィリピン685ドル、タイ683ドルです 。約30年前は、豊かさにおいて、フィリピン・タイの間に大きな差はありませんでした。
次に、直近の数字を見てみますと、2012年の名目GDPは、フィリピン約25百億ドル、タイは約36百億ドルです。同年の国民一人当たりの名目GDPは、フィリピン約2,600ドル、タイは約5,700ドルです 。経済規模・豊かさにおいて、フィリピンは、タイに及びません。フィリピンの経済が停滞していたと言われる所以です。では、何故、このように差がついてしまったのでしょうか。

*4 以上国連資料を基に筆者計算
*5 以上ジェトロ資料より

(2)経済成長率

以下は、フィリピンが後れを取ることになった約30年間、1980年から2011年までのフィリピンとタイの実質GDP成長率の推移です。グラフのコメントは主にフィリピンに関するものです。また、グラフ下の欄外に各期間のフィリピンの大統領名を記載しています。

<フィリピン・タイ実質GDP成長率推移 (単位:%)>

ジェトロ アジア研究所資料を基に筆者作成

タイと比べて、特徴的なのが、97年のアジア通貨危機以前の成長率です。フィリピンの経済成長率はタイと比較して著しく低くなっています。以下に97年以前のフィリピンでの出来事を時系列で見ていきましょう。なお、以下の記述は、「アジア経済読本 第4版」(東洋経済 渡辺利夫編2009)を基にしております。

① 1983年 ベニグノ・アキノ上院議員暗殺 同年の対外債務危機

フィリピンは、83年以前にも、いくつかの経済面でのつまずきを経験していますが、特に、タイに、遅れをとる発端となった事件が、ベニグノ・アキノ上院議員暗殺事件に端を発する対外債務危機です。
当時のフィリピンは、海外から借り入れた資金で国内の投資を行っていました。投資対象は、外貨を獲得する輸出産業ではなく、インフラ投資が対象でした。対外債務は膨張を続ける一方で、その返済原資を獲得する輸出産業が発展しない、そんなアンバランスな状況が続いていたのです。
そのような状況下、マルコス大統領(当時)が、最大の政敵ベニグノ・アキノ上院議員を暗殺する事件が起きました(1983年)。この暗殺事件がきっかけとなり、フィリピンへの投資が引き揚げられ、また、新規の投資が激減することになりました。トヨタ自動車も、1984年に一度フィリピンから撤退しています(88年に再進出)*6。
IMFは、フィリピン救済に乗り出しますが、その条件は、緊縮財政・増税・経常収支赤字の削減等の総需要の抑制策で、この条件を受け入れた結果、フィリピンの成長率は、83年1.87%、84年マイナス7.32%、85年マイナス7.31%と大きく落ち込むことになりました。

*6 トヨタ自動車ホームページより

② 緊縮財政実施による景気後退

マルコス政権崩壊の後のコラソン・アキノ大統領就任期間中(86年~92年)にも、フィリピンは大きな経済危機に見舞われます。コラソン・アキノ大統領の就任期間の後半には、財政赤字の拡大、国内高金利、経常収支の赤字により、IMFから緊縮財政を要求されることになりました。その実施の結果、経済成長率は、91年にマイナス0.58%、92年に0.34%に落ち込んでしまうことになりました。

③ 構造調整期間(喪失の10年間)

以上①②の83年の対外債務危機以来10年に亘る、経済の低成長期間を構造調整期間と呼びます。

ところで、この頃のタイの状況はどのようなものだったのでしょうか。
タイも、対外債務が膨らんだ状態にあり、81年にIMFから、82年83年には世界銀行から、融資を受けることになりました。タイは、この時に、IMF・世界銀行からの要求に従い、外資開放政策を導入するに至ります。そして、その後、プラザ合意(85年)後の急激な円高の進行を受けた日本企業の進出ラッシュが始まります。以下のグラフは、フィリピン、タイへの直接投資額(対内投資額)の推移です。88年以降、日本からの投資がタイへの直接投資を牽引している傾向(フィリピンを引き離していく傾向)が鮮明に表れています。

<世界からの直接投資額推移 (単位:百万ドル)> 

Inward foreign direct investment flows, annual
1970-2012 UNCTAD, UNCTADstatより筆者作成

<日本からの直接投資額推移 (単位:百万ドル)>

ジェトロ資料より筆者作成

以下のグラフは「フィリピン・タイの輸出額の推移」です。80年代半ばから、タイの輸出額はフィリピンのそれを大幅に上回るようになっていきます。

<フィリピン・タイの輸出額の推移 (単位:百万ドル)>

Values and shares of merchandise exports and imports, annual, 1948-2012
UNCTAD, UNCTADstat より筆者作成

フィリピン経済の停滞は、この構造調整期間の長期化に直接の端を発しているといえます。
タイも80年代の初めまでは、乱暴にいいますと、フィリピンと似たり寄ったりの状態にあり、構造調整(外資開放政策の導入)を行うことになりました。しかし、タイが80年代半ばには構造調整を終え、80年代後半から構造調整の果実を得ることができたのに対し、フィリピンは90年代前半まで調整期間を引っ張ってしまいました。この間に、フィリピンは、インフラ整備・産業集積において、タイに大きく引き離されてしまったのです。

④ 日系電子企業による大型投資

92年には、コラソン・アキノ大統領が退任し、ラモス大統領が就任します。ラモス大統領は積極的な外資誘致策を打ち出します。そして、90年代半ばから日系電子企業の進出が本格化します。特に、東芝、NEC、日立、富士通の進出がフィリピン経済に大きな影響を与えることになりました。この頃には、フィリピンへの日本からの直接投資額がタイへのそれを上回ることもありました。

<日本からの直接投資額推移 (単位:百万ドル)>

ジェトロ資料より筆者作成

そして、電子産業の総輸出に占める割合は、1992年の28%から、99年には72%まで上昇することになります*7。以下のグラフにも、電子産業がフィリピンの輸出を牽引している様子が表れています。現在でも、その割合は60%以上*8で、電子産業はフィリピンの主要産業の地位を確立しているといえます。

*7 フィリピン日本人商工会議所資料より
*8 「フィリピンの電子産業市場調査報告書」ジェトロ 2012年3月

<フィリピン輸出額推移 (単位:百万ドル)>

Values and shares of merchandise exports and imports, annual, 1948-2012
UNCTAD, UNCTADstat より筆者作成

ただし、電子産業の進出後も、その部品等の多くは海外から調達され、フィリピン国内の周辺産業発展にはあまり結びついていないようです。この点は、自動車産業の進出とは異なるようです。先の構造調整期間の長期化とともに、フィリピンでの産業集積が今でもあまり進んでいない要因といえましょう。

以下のグラフは、最近の日系企業の現地での原材料・部品の調達割合です。この割合は、その国・地域の産業集積度合の目安となる指標です。フィリピンの割合は、タイはもちろん、インドネシアよりも低いという状況です。2012年の四輪車生産台数は、タイ2,483千台、インドネシア1,065千台に対し、フィリピンは55千台に過ぎません*9。自動車産業の規模が、産業集積度合そ決定する要因の一つになっていると推察致します。
また、一人当り名目GDPが約1,500ドル(フィリピンの6割弱)に過ぎないベトナムよりも低い水準であることも特徴的です。

*9 日本自動車工業会 乗用車・バス・トラック合計

<日系企業の現地での原材料・部品の調達割合>

ジェトロ 在アジア・オセアニア日系企業活動実態調査(2012年度調査)2012年12月18日より

⑤ アジア通貨危機

マニラのビジネス街 マカティにある廃墟ビル
97年アジア通貨危機の時に工事がストップし、
そのまま今に至っているらしい。2013年5月筆者撮影

ラモス政権下、やっと成長軌道に乗ったかに見えたフィリピン経済ですが、97年のアジア危機により落ち込むことになります。もっとも、タイに比べると、落ち込みは少なかったのですが。
その要因は、83年の対外債務危機により既に金融機関の整理が済んでいたこと、タイほど景気が過熱していなかったことです。

以上、フィリピンのこれまでの経済停滞の状況・原因を述べて参りました。80年代初めの出来事が、現在まで尾を引いているといえますが、今後のフィリピン経済にどのような影響を与えるのでしょうか。次回は、フィリピンの今後の経済成長の道筋、中堅中小企業進出に際しての留意点を考えていきます。

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